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2004-11-25 (Thu)
襟を正してコルトレーン「至上の愛」 (やぱJa その9)
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僕がJazzを聴き始めた高2から高3の頃、その前後数年間が戦後第何次目かは知らないけれど未曾有のJazzブームだったことは間違いない。
その中でもマイルスのくびきから脱して"シーツ・オブ・サウンド"奏法という自らのスタイルを確立し'61年の「マイ・フェイヴァリット・シングス」以降、全開モードで調子の波に乗りまくったたジョン・コルトレーンは人気の絶頂に達していたと思うし、事実何処のダンモでも2~3時間に1回はコルトレーンのアルバムがかかっていた。
'65年リリースのアルバム「至上の愛」はまさにその頂点でありエポックだった。ポピュリズムの残滓はひとかけらもなく、単なる熱情の放出でもなくアバンギャルドでもなく、Jazzを通じて回心されたいわば禅の悟り的な彼独自のスピリチュアルな世界をむしろ様式的に端正に具現化している。僕にはこのアルバムは以後展開された彼のフリースタイルな精神的・宗教的世界へ続く"詔"宣言のように感じられる。
でも当時高校生の僕にはコルトレーンはこの「至上の愛」までだった。これに続く「瞑想」「神の園」のコルトレーンにはもうついていくことはできなかった。最強のカルテットといわれたマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ジミー・ギャリスンとのユニットを解散したことも不満だった。それでも僕は'66年の来日公演には生コルトレーン見たさ、聴きたさで新宿厚生年金ホールのチケットを手に入れたんだけど、正直な話、当時の僕には理解を超えていた。
その1年後、コルトレーンは急逝した・・・。
P.S. 今でも僕は時々はコルトレーンを聴いている。よく聴くのは写真にのせたこの3枚のアルバムだ。今聴くと「至上の愛」もさほど刺激的な音とは感じなくなっている。
ただ"純粋に美しい"と感じている。
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